徒然のんべんだらり、気の向くまま萌の赴くまま。 二次創作BL中心、腐女子バンザイ乱行三昧。 |
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創作の小話です。
BL要素のあるものなのでお嫌いな方は、閲覧をご遠慮くださいますよう、お願い致します。
遙かなる時空の中で、友雅×鷹通で京編です。
全年齢対象だとは思いますが・・・。
(BLの時点で全年齢対象・一般向けではないような気がしないでもないですが)
BL要素のあるものなのでお嫌いな方は、閲覧をご遠慮くださいますよう、お願い致します。
遙かなる時空の中で、友雅×鷹通で京編です。
全年齢対象だとは思いますが・・・。
(BLの時点で全年齢対象・一般向けではないような気がしないでもないですが)
【 闇の扉 】
そこに手をかければ、もう後戻りはできないと・・・。
私は何をしているのだろうか。
傍らにはもう、ほとんど整理を終えた書籍。
そのいずれも、今日しなければならないようなものは一つもない。
ただ、時間を稼ぐためだけのそれに、また手をかけ。
そこで、油が切れたのだろう、燈台の火が消えて、室内が暗闇に飲み込まれる。
乏しいとはいえ、今まで明かりに慣らされていた目は、視界を失って。
そうして、差し込む月明かりに目が慣れ始めて。
その光の向きに、月が西へと傾き始めたことを知る。
約束の刻限は、もう過ぎている。
そのことに、安堵と、そして自己嫌悪。
私は、いったい何をしているのだろう。
ことの起こりは、夕刻。
いつもと変わらない、出仕の合間にそれは。
神子殿が四神を取り戻し、白龍を召還し、表面的に鬼からの脅威が去り、京に平和が戻った。
鬼や怨霊、穢れなどの大きな影響はなりを潜め、陰陽寮だけでも対処はできるようになった。
だが、元からあった官僚や貴族の横行が尽きたわけではない。
鬼の影に隠れていたそれらが、表面化し、大内裏の中はある意味、以前よりも騒がしくなっているといえなくもない状態。
しかし、一官人である私にそれがどうこうできるわけもなく。
結局、以前と変わりなく、仕事に努めるしかない。
いや、むしろ神子殿のことにかかわっていた時分に、少し滞っていた作業がある分、余計なことを考える時間などなかった。
けれど今の私には、それは好都合だった。
今は、仕事のこと以外考えたくなかった。
時間ができれば、この胸のうちの、考えたくないと思っている様々なことを考えてしまうから。
だから、にわかに騒がしくなったその理由が、その人だとも気づかなかったのだ。
「あの、鷹通様」
「どうしました」
「・・・あの」
文机から目を上げずに呼ばれた声にこたえ、続きを促すと。
言い澱むように、そこで言葉が切れ、それを怪訝に思い顔を上げると。
「呼ばれたのだから、顔ぐらい上げてはどうだい、治部少丞殿?」
ふわりと、以前は隣にいるのが当然のようだった香りと、咲き誇る見事な大輪の牡丹柄の着物。
華やか、という言葉をそのまま現したようなその人が、そこに立っていた。
その突然の訪問に、声を失い。
呆けたように、その姿を見上げるしかできなかった私に、彼は小首をかしげた。
「うん? どうかしたかい?」
「・・・っあ、いえ。その、失礼しました、橘少将殿」
向き直り、座を正し、頭を下げると。苦笑が、私の耳元をくすぐり。
そのことで、彼が膝をつき、自分の目の前にいるのだということに気づいた。
「そう、畏まらなくてもいいだろう? 知らない仲でもあるまいに」
「そういう訳には参りません。・・・それで、どのような御用向きで、こちらに?」
今、最も会いたくないと思っていた人物が、目の前にいる。
だが、それを邪険に払えるはずもなく、そう問えば。
目の前の端正な顔が、一瞬だけ不機嫌げに歪められ。
「用がなければ、君に会いに来てはいけないのかい?」
「今は、出仕中です」
「そういっても君。君が出仕中でないときなど、ついぞ見かけないよ? 特に、鬼の一件以来は」
その言葉に、険のようなものを感じたが、あえて無視をする。
今は、一刻も早く、この人をこの場から去らせたい。
その思いで、努めて事務的な声で。
「滞っていた作業がありますので、お戯れならば余所で」
「少し、君と話したいことがあってね。今夜、時間が取れるかい?」
その私の声を遮るように、彼には珍しく、拒否を許さないようなそんな声。
そのことに、驚きと、そして戸惑いを覚え、言葉を捜しあぐねた。
あらかじめ、そんな私を予想していたのか、彼はいつもの柔らかな笑みを残して立ち上がった。
「私は河原院で月見でもしているから、仕事が終わったら」
そういい、来た時と同じように、出て行こうとする。
その背を追って、腰を浮かせ。
「・・・っ友雅殿! あの、仕事が押していますので、遅くなるかもしれません」
「それは覚悟の上だよ」
「夜は冷えます。月が傾くまでにはお帰りください」
「・・・私とて、そこまで待つほどお人好しではないよ」
私の声に驚いたように、少し眼を瞠ったあと、またふわりと笑って。
言も途中にまた背を向け、ひらひらと手を振りながら、彼は出て行った。
そのことに、こっそりと息を吐きながら。
咄嗟とはいえ、以前のように名を呼んでしまったことに。
まだ、自分の中で、けじめがついていないのだと。
そう思い知らされて、鉛でも飲まされたような、そんな重い気持ちになった。
そうして私は、その刻限が過ぎるのを待つように、雑事に手をつけ。
こうして今も、この場に座している。
神子殿が元の世界に帰られて、もう三月ほど。
風は冷たくなり、眼鏡を押し上げる手も、すっかり冷えてしまうようなこんな季節に。
いつ来るとも知れないものを、夜に寒空の下、待つなどと、そんなことを。
冷えた体を温めてくれる、そんな人が数多ある人が、そんな愚かな事をするはずがないと思いながらも。
言いようもない、不安が、期待が私の足を動かす。
出がけに、女房が冷えるだろうと持たせてくれた袿もはおらず、脇に抱えて。
いるはずがない、いなければいいとそう思いながらも、相反して、いて欲しいと思う心が。
気を急かせて、自然足は走り出し。
内裏勤めを始めてから、走るということから遠ざかっていた身体が悲鳴を上げても。
慣れぬ足が、土を蹴るその痛みさえどうでもよく、ただ走った。
河原院に着くころには、慣れぬ体が呼吸を乱し、空気がのどを通る嫌な音が耳についた。
それでも足は止まらず、いるはずがない、いないでくれと、身勝手な懇願に近い思いで敷地内を彷徨った。
そして、彼の人の姿を池のほとりに見つけて。
来なければ良かったという後悔と。
こんな夜半になってまで、待ってくれていたという歓喜とも安堵ともつかない心。
自分の中で理解しがたい感情が渦巻いて、木に凭れかかって目を瞑っている彼を見下ろすことしかできない。
「友、雅・・・どの?」
かすれた、自分の声とは思えない声が、彼の名をこぼした。
それは疲労によるものだったのか、緊張のためだったのか。
震えるような、か細い声だった。
眠っているのか、彼は反応を見せない。
西に傾き始めた月が、冷たく彼を照らしていて、その光景が彼を作り物めいたそれに見せ。
不安のようなものが押し寄せてきて、私は膝をついて彼に手を伸ばした。
「こんなところで眠っては、風邪を、引きますよ・・・。・・・橘少将殿?」
「どうして、名を呼んではくれないの?」
伺うように、覗き込んでいた私の瞳を、翡翠にも似た輝きが捕らえた。
はっとして身を引こうとすると、ひやりとした手がそれを阻んだ。
幽鬼のようだと感じたそれは、はたして私の体温が高かったせいなのか。
現実離れしたその冷たさに反して、私をつかんだその手は抗うことを許さない強さで。
強く引かれ、体勢を崩して。
前かがみに倒れこみそうになる身体を、何とかこらえようとした私の抵抗は、後頭部に添えられた手に阻まれて。
彼の胸元へ押し付けられるように、倒れこんでいた。
ふわり、と。彼の香が鼻腔を掠める。
同じ香のはずなのに、私のものとは違った香りのそれに包まれて。
一瞬、眩暈にも似た感覚が、自分の中を巡る。
「神子殿が元の世界に帰ってから、君は私の名を呼ばなくなったね。どうしてだい、鷹通」
身を起こそうとする私を、押さえつけるようにその腕に抱いて。
寂しげな声が私に問う。
「な、にを・・・」
「・・・君と私は所詮、八葉という繋がりしか持たなかったということかい? 薄情なものだね」
後頭部を掴んでいた腕が、今はない、宝珠があった首筋を撫でる。
その冷たい指の感覚に悪寒にも似たものが身体を走る。
自分の指で触るのとは違ったそれ。
雅という言葉を体現したような彼の手指は、それに反してやはり武人ということか、指の腹や掌は太刀を握ることに慣れた硬さを帯びている。
震えそうになる身体を知られたくなくて、身を起こそうとしても、彼の腕の力にそれさえも果たせず、小さく身じろぐことしかできない。
「橘少将殿、戯れは・・・」
「では今宵、君の望みどおり、何もかも断ち切ってしまおうか」
私の言葉も半ばにそういうと、彼は私が聞き返そうと開いた口をその口唇で塞いだ。
唐突なことに、一瞬思考が停止して、目の前にある秀麗な顔を凝視することしかできなかった。
悲しげな瞳の輝きだけが、近すぎて霞む視界の中、際立つ。
その瞳に、意識を持っていかれかけるが、口唇を甘く食まれて口付けられていることにようやく思い至る。
抵抗を試みようとするが、強く掴まれた腕と顎に添えられた手に、阻まれ。
外気で乾き冷えた口唇が押し付けられ、反対に湿り気を帯びたあたたかい舌がなぞるように這う。
断ち切るといいながら、どうしてこんなことを仕掛けてくるのか。
彼が何を考えているのか、まったく解らない。
ちぐはぐな感覚が、余計にその存在感を伝えてきて、思考がまともに働くなくなる。
だが、なけなしの理性を総動員して、彼の口唇に歯を立て、彼が怯んだその隙に腕の中から抜け出した。
ただ、口唇を合わされただけだというのに、必要以上に息が上がっている。
混乱で、どうしていいかわからない。
咄嗟のこととはいえ、彼の口唇に歯を立ててしまったことに、今さらながらに罪悪感のようなものを感じる。
しかし、謝罪しようとは思わなかった。
「やれやれ、君は思った以上にじゃじゃ馬のようだね、鷹通」
「・・・っ何を考えているか知りませんが。それ相応の対応をしたまでです」
血のにじむ口唇を親指の腹で拭い、その指を見せ付けるように舐めながらおどけたようにいう彼に。
冷静さを取り戻そうと、努めて事務的な声で言葉を紡いでみたけれど。
彼のそのしぐさに、淫靡さのようなものを感じて、静めるはずだった鼓動は余計に跳ねてしまった。
「先行き短いこの身が、一夜の夢を求めているのだよ。付き合ってくれてもいいだろう?」
「理解しかねます。そういう相手が欲しいなら、・・・あなたならお相手には困らないでしょう」
自分で発した言葉であるのに、そのことに心が痛む。
言葉のとおり、彼は宮中でその浮名を知らない人などいないほど、その手の話題が尽きない人だ。
華を備えているといっても過言ではないこの人に。
誰もが心引かれ、その人の腕が自分に舞い込んだなら、と密やかに囁きあわれる人。
そんな人が、どうして何も持たない私などにそんな言葉をかけるのか。
戯れにしても、性質が悪すぎる。
そう、この人はいつもこちらの気など知りもせず、私の心をかき乱して、知らぬ顔で去っていく。
そして次会った時には、何事もなかったように振舞って、それが何度となく繰り返されて。
私の中には澱のように、何かわからない泥濘のような感情が募っていく。
その感情が、嫉妬であると悟ったときの私の心の葛藤など、この人には解らないだろうけれど。
そう、今感じたのも嫉妬だ。
そんな醜いところしかない私に、どうしてそんな言葉などかけるのか。
私の心の中を知らないとしても、酷過ぎるのではないか。
感情の整理がつかず、足元が崩れそうな、そんな感覚に襲われる。
それなのに、目の前の佳人は追い討ちをかけるような言葉をくれる。
「ねぇ、鷹通。そんな泣きそうな顔をしないでおくれ? 陽が昇れば君の望む、左近衛府少将と治部少丞の間柄に戻るから。だから今だけ、この闇が降っている間だけ。私の、橘友雅だけの鷹通になってはくれいまいか」
いつもの、相手に委ねるようなその言は変わらないというのに。
どうしてそんな、捨てられた子供のような瞳で、私にそんなことを訴えてくるのか。
そんな瞳で答えを請われたら、ありもしない期待を持ってしまいそうになる。
彼も少なからず私のことに心砕いているのではないかという、浅ましい感情。
そんなことありはしない、あるはずがないと思いながらも、彼が見せる時折の優しさや、気まぐれの言葉が。
少なからず、親しみを覚えてもらっているのは自負している。
だからこそ。
この関係を壊さないためにも。
この、心苦しくも心地よい距離を崩さないためにも。
私は私の中で、けじめを設けなくてはならないと、そう、思って。
あの日、神子殿が元の世界に帰るあの時見た、光景を機に、距離をとったというのに。
そうしなければ、均衡が崩れてしまうと解っていたから。
私は子供ではないから、少しは自分がどういう人間か悟っている。
決して手の届かないものが存在するということも。
そして一度手が届けば、それを逃すまいと醜く足掻くことも。
思いを寄せる相手には、自分の醜い姿を見せたくないという利己主義的なところがあることも。
だから、彼と一定の距離を量るためにも、時間が欲しくて、極力会わないようにしていたのに。
こんなことで、均衡を崩されるなんて。
「神子殿と・・・、私が八葉で神子殿と繋がりがあったからといって、代用になさるなど」
「・・・君は何を言っているんだい」
「あなたが・・・、神子殿を思っていたことは、知っています。最後の日、神子殿とともに彼の地に行くことを請い、断られたことも。・・・だからといって」
ぐらり、と視界が急に空を映した。
足首を掴まれた感触、腰と背中に伝わる鈍い痛み、頬を撫でた乾きかけの枯れ草、それぞれの感覚が自分が地に引き倒されたのだということをまざまざと伝える。
そして、ひやり、と首を覆った大きな掌。
その掌に、呼吸を奪うように力が入れられ、息が止まる。
目の前には綺麗な彼が、宵闇の中、絵画のように、ぼうと浮きぼられたように。
けれど酸欠のせいか、彼の表情は半分靄がかかったような闇で、どんな顔をしているのか見て取れない。
のどが、無意識に息を吸おうと、言葉にならない無意味な音を紡ぐ。
命の危機にさらされ、本能的な恐怖が身を襲う。
「君のその、人の機微に疎いところが可愛らしいとも思っていたけれど。今は殺したいほど、憎く思えるよ」
「・・・か、は」
不意に、のどが開放され、急激に空気が身体に取り込まれて、のどが悲鳴を上げる。
耳障りな呼吸と咳が、身を襲い、目の前が明滅するような、眩暈。
呼吸も整わないうちに、再び彼の口唇によって呼吸が奪われる。
「・・・ん、んん・・・」
息苦しくて、呻くことしかできない。
顔を逸らして逃れようとしても、顎を掴まれ引き戻される。
そして空気を欲して開く口に、舌が進入して、かき混ぜられ。
吸うことを欲するのどは嚥下を拒んで、あふれた唾液はだらしなく口端から零れた。
口端から耳下に向かって、生温かい感触が不快感を伴うはずなのに。
犯されるように蹂躙されている口の中の、その感覚が勝ってそんな不快感を消し飛ばす。
口を塞がれ、逃げ道を失った音が、身体の中で反響するように。
舌が触れ合う、唾液の混ざり合う水音が、頭の中に響くよう。
その音に、煽られるように、背筋に落雷でも落とされたような感覚が走りぬける。
それが快感であると知っている身体は、捌け口を求めるようにその感覚を追おうとするけれど。
快楽に押し流されそうな意識を、どうにか繋ぎ止め、渾身の力で彼を突き飛ばす。
「・・・っう、く」
言いたいことはいろいろあったはずなのに、口を付いて出たのは、嗚咽だった。
彼の言っていることが解らない悲しさや。
自分のことが自分で制御できない悔しさや。
いろいろなものが綯い交ぜになって、涙があふれる。
これでは、思い通りにならないからと、駄々をこねて喚く子供と変わらない。
立派な人になりたいと、完璧であらねば、義母上に申し訳が立たないと。
そう思って、ずっとやってきて、完全ではないにしろ、随分と目標に近づけていたと思っていたのに。
「私に口付けられたことが、泣くほど嫌だったかい」
「っ違います・・・! あなたが解らないのが、自分のことが解らないのが。無知な自分が・・・」
「・・・ねぇ、鷹通。一つずつ、話そうか」
「・・・え?」
先刻まで、力ずくで私を押さえつけていた手が、ゆっくりと近づいてくる。
そのことに、先ほどの恐怖や混乱がせり戻ってきて、咄嗟にかたく目を瞑る。
しかしその手は、羽でも触れるように頬を撫で、零れたままだった唾液を拭った。
「あの・・・?」
「誤解があるようだけれど。確かに、私は神子殿のことは好ましく思っていたよ」
恐る恐る瞳を開き、伺うように彼の顔を見上げると。
困ったような悲しげな表情が、まっすぐと私を見据えていて。
「神子殿が戻るとき、同行を願ったのも事実だ」
聞きたくないと思う事実を、彼の口唇が次々に紡いでいく。
まっすぐな瞳は、それが真実であることをはっきりと語っている。
耳を塞いでしまいたいと、そう思うが、彼の瞳がそれを許さない強さで私を見つめていて。
私はただ、淡々と紡がれる言葉を彼の瞳と対峙したまま聴くしかなかった。
「けれど神子殿はね、それを許しはしなかった。どうしてだと思う?」
「・・・解りません」
「・・・。『現実から逃げるために、私を利用するのは駄目です』、だそうだよ」
「は?」
彼の口から語られた、神子殿の言葉が何を意味するのか解らず、気の抜けたような声が漏れた。
彼はそれに苦笑をもらし、私から視線を逸らした。
「『今いる世界が苦しいからって、私の世界に来たとしても。きっと後悔ばかりして、来なければ良かったって思うはずです。逃げてばかりいてもどうにもならないって、わかってるはずでしょう?』」
今は遠くに行ってしまった、貴き人を思い出すように、空を仰ぎ見て。
彼の声で紡がれるその言葉は、何故か彼女の声で聞こえた。
『鷹通さんの、心配をかけないようにっていう気遣いは解ります。でも、全部自分の中で決着をつけようとしないでください。内に内に入れてばかりじゃ、前に進めないでしょ』
彼女の言葉がよみがえる。
その一つ一つはまとまりなどなく、雑然とした言葉の群れであるのに。
思い返せば、その中に秘められた彼女の優しさが、私の中の枠のようなものをゆっくりと溶かして。
もしかしたら、一生気づけなかったかもしれないことを気づかせてくれた。
変わることを恐れて、型にはまろうとばかりしていた私に、新しい一歩を踏み出す勇気をくれた、異世界からやってきた少女。
彼女自身は、自分の言葉の中にある、力を知りはしなかった。
けれど、だからこそ、その力は優しく私の中に降り積もった。
どうして今まで、それを忘れていたのだろう。
「神子殿はね、気づいていたのだよ。私の心がこの京に縛られていることを。だから、その状態で向こう側へいっても辛いだけだと」
「縛られて?」
「そう、君に」
空を仰ぎ見ていた彼の視線が私に降る。
やわらかな、けれど悲しげな瞳。
「先刻は、酷いことをしてすまなかったね。どうやら私は焦っていたようだ」
投げ出される形で放置されていた袿を拾い上げ、私の背にかけ、彼は元座っていた木に凭れかかり。
ずるずると、脱力するようにその根元に腰を下ろした。
そして、手で目元を覆い、空を仰いで大きく息をつく。
私はどうしていいかわからず、ただ彼のそのさまを見守ることしかできなかった。
「私は焦っていた、・・・のだろうね。ようやく鬼の一件が片付いて、ゆっくりと君と話ができると思っていた矢先に、君に避けられてしまって」
「・・・」
「たまに会っても、君は私を名では呼んでくれなくなっていたし」
「すみません」
「・・・謝って欲しいわけではないのだよ」
彼には似合わない苦笑を繰り返し、ぽつりぽつりと語られていく言葉。
それを受け止めるように、聞いていく。
「何か君に嫌われるようなことをしたのかと。君に聞こうにも、君はいつも仕事だと会えなかっただろう。それに、どうやら君は私との繋がりを絶ちたがっているように見受けられたから。そう思ったら、どうしようもなくなって。どうせ嫌われるなら、自分のしたいようにして嫌われたほうがいいと思って、あんなことをしてしまった。本当に、すまない」
言葉の流暢な彼らしくなく、たどたどしい言葉。
それが余計に、彼の中の心情を伝えて、申し訳ない気持ちになる。
「申し訳ありません。・・・その、私の中で、けじめをつけたいと、そう思って、いて・・・」
「何の、けじめだい?」
首をかしげて、彼が問う。
黙秘したい気持ちに駆られたが、彼もその心情を伝えてきたのだ。
私だけ、黙っているというのも、不公平な気がして。
みっともないのは、重々承知で。
「私の中で、あなたは、あなたの存在はとても大きいもので。鬼の一件で、行動を共にするようになってからは、その存在の大きさを改めて知って」
どう説明していいか、言葉に困る。
それでも何とか伝えようと、自分の中に存在しうる言葉の限りを尽くして。
あなたが大切なのだと。
何を賭しても失えない、失ってしまったらどうにかなってしまいそうな。
そんな狂気さえ孕んだ、私の醜い心を。
「けじめをつけなければ、際限なく、あなたの中に踏み込んでしまいそうで。あなたはそういったことがお嫌いでしょう。それに私は庶子で、あまりに分不相応だから」
「鷹通・・・」
「少し距離をと・・・。・・・ぁっ」
言葉も半ばに、抱きすくめられた。
「あの、離して・・・」
「こんなに嬉しいのに、離せないよ。君は離したら、逃げてしまうだろう?」
「・・・?」
「思い人にそんな思いを告げられて、触れないでおくことなんてできないよ」
「え?」
「笑ってくれてかまわないよ。私は一回りも歳の離れた君に、ずっと懸想していたのだよ? 君は気づきもしなかったけれど」
やわらかく笑みを含んだ瞳で見つめられ、そんな言葉をかけられて。
彼の腕から逃れようと、彼の胸についていた手は力を失った。
懸想? 彼が、私に対して?
願って止まなかった、けれど決して手に入ることはないと思っていたその言葉は。
他の誰でもない、彼本人の口唇から発せられて。
その言葉が真実だと、いつものからかうためのそれではないということを、痛いほど彼の真摯な瞳が伝えていて、私は胸が詰まり言葉を失った。
そして、涙があふれた。
それは先ほどのように悔恨から来るものではなく、歓喜からくるそれで。
後から後からあふれてくるそれを、私はとどめようとは思わず。
ただ、涙を流した。
「た、鷹通?」
慌てたような彼の声が耳をたたく。
それすらも心地よく。
「私も、あなたが。・・・あなたが好きです」
あんなにも口にすることが憚られた言葉が、するりと唇を突いた。
彼の腕の中で、まるで女君のように呟く自分を、女々しいと思いながらも。
それでも今の自分にはそれ以外どうしたらよいか解らず。
ただ、彼の腕の中で、彼のぬくもりに包まれて。
彼が袖で涙をぬぐってくれる仕草が愛しくて、彼の背にそろそろと指を這わせた。
互いに無言で、互いのぬくもりを確かめるように、ただ抱き合った。
どれほど、抱き合ったのだろうか。
しばらくして、彼から呟きがもれた。
「これを、愛している、と言うのだろう。不思議と、あたたかい気持ちだね」
「・・・はい」
「こんな時代に、たとえ珍しくはないとしても。私たちの思いは公に出来るものではない。それでも・・・、それでも、君は私の一の君になってくれるかい?」
いつも自信に満ちた彼に、似つかわしくないほど弱気な声。
それが、彼の気持ちを何よりも伝えてくれる。
私は、微笑を浮かべた。
彼の言葉は私の願いでもあったから。
「あなたが私の心を埋めてしまった時から、私の答えは決まっています」
「鷹通・・・」
吐息のような彼の私を呼ぶ声に、体の中に熱を宿しながら、その熱を吐き出すように。
「あなたが好きです。たとえ、どんなことが起ころうとも、同じ時間を過ごしたいのです」
彼の微笑が、私の心を埋め尽くす。
内裏の華、と呼ばれる彼の、心からの笑みは何者にも勝るまさに華で。
その艶やかさに目が眩みそうになる。
「ねぇ、鷹通。私の名を呼んで? 君から私の名を聞きたい」
「・・・あなたがもう嫌だと言うくらい、呼んで差し上げますよ」
「君から聞こえる私の名は、甘露のようだから。きっと嫌になることなんてないよ」
「どうでしょうね? 友雅殿」
「・・・もっと呼んで、鷹通」
「友雅殿」
「・・・うん・・・」
睦言のように甘い声で、互いの名を何度も呼び合った。
たとえあなたのその心が、一時の危機により、傾いたものだったとしても。
それでも、私の心は、すべてはあなたのために。
あなたが私のあなたを呼ぶ声を好むのなら、何度でも呼びましょう。
あなたは、私の心の中の太陽だから。
私は、あなたに照らされていたいのです。
一時でも長く、あなたのそばにいることが出来るのならば、どんな犠牲も厭いはしない。
あなたに心惹かれ、目を逸らせなくなった時から気づいていた。
そこに手をかければ、もう後戻りはできないと・・・。
END
***** あとがき。*****************************************
あ、あれー・・・? 当初の予定では青カンだったはずが結局何もヤらずに終わってしまいました。そのシーンを挟む隙間を見失ってしまったと言いますか。ほとんど進展なしじゃん。(汗)
書き始めてからだいぶ時間がたってしまって、当初の予定とはだいぶ違った内容になってしまったけど、くっついたからまだ予定通りといえなくもないかなぁ・・・。(汗)
しかし、最後になっても自分を卑下する癖が抜けない私の書く鷹通さん。私の中で鷹通さんは庶子であることに強烈にコンプレックスを抱いている人なので、自分に自信を持つことが出来ないのです。友雅さんが、今後どれだけ頑張るかがネックなカップリングかもしれません。
しかし、ようやく京編組が出来上がりました。現代版はさて、どうなることやら。そのうちバカップル炸裂な友鷹を現代版で書きたいです。京編だとどうしても鷹通さんは身分を気にするので。身分のない現代で鳥肌もんの蜂蜜を吐く勢いな白虎を書きたいですねv<どんな白虎だ
Title by 『緒方恵』
そこに手をかければ、もう後戻りはできないと・・・。
私は何をしているのだろうか。
傍らにはもう、ほとんど整理を終えた書籍。
そのいずれも、今日しなければならないようなものは一つもない。
ただ、時間を稼ぐためだけのそれに、また手をかけ。
そこで、油が切れたのだろう、燈台の火が消えて、室内が暗闇に飲み込まれる。
乏しいとはいえ、今まで明かりに慣らされていた目は、視界を失って。
そうして、差し込む月明かりに目が慣れ始めて。
その光の向きに、月が西へと傾き始めたことを知る。
約束の刻限は、もう過ぎている。
そのことに、安堵と、そして自己嫌悪。
私は、いったい何をしているのだろう。
ことの起こりは、夕刻。
いつもと変わらない、出仕の合間にそれは。
神子殿が四神を取り戻し、白龍を召還し、表面的に鬼からの脅威が去り、京に平和が戻った。
鬼や怨霊、穢れなどの大きな影響はなりを潜め、陰陽寮だけでも対処はできるようになった。
だが、元からあった官僚や貴族の横行が尽きたわけではない。
鬼の影に隠れていたそれらが、表面化し、大内裏の中はある意味、以前よりも騒がしくなっているといえなくもない状態。
しかし、一官人である私にそれがどうこうできるわけもなく。
結局、以前と変わりなく、仕事に努めるしかない。
いや、むしろ神子殿のことにかかわっていた時分に、少し滞っていた作業がある分、余計なことを考える時間などなかった。
けれど今の私には、それは好都合だった。
今は、仕事のこと以外考えたくなかった。
時間ができれば、この胸のうちの、考えたくないと思っている様々なことを考えてしまうから。
だから、にわかに騒がしくなったその理由が、その人だとも気づかなかったのだ。
「あの、鷹通様」
「どうしました」
「・・・あの」
文机から目を上げずに呼ばれた声にこたえ、続きを促すと。
言い澱むように、そこで言葉が切れ、それを怪訝に思い顔を上げると。
「呼ばれたのだから、顔ぐらい上げてはどうだい、治部少丞殿?」
ふわりと、以前は隣にいるのが当然のようだった香りと、咲き誇る見事な大輪の牡丹柄の着物。
華やか、という言葉をそのまま現したようなその人が、そこに立っていた。
その突然の訪問に、声を失い。
呆けたように、その姿を見上げるしかできなかった私に、彼は小首をかしげた。
「うん? どうかしたかい?」
「・・・っあ、いえ。その、失礼しました、橘少将殿」
向き直り、座を正し、頭を下げると。苦笑が、私の耳元をくすぐり。
そのことで、彼が膝をつき、自分の目の前にいるのだということに気づいた。
「そう、畏まらなくてもいいだろう? 知らない仲でもあるまいに」
「そういう訳には参りません。・・・それで、どのような御用向きで、こちらに?」
今、最も会いたくないと思っていた人物が、目の前にいる。
だが、それを邪険に払えるはずもなく、そう問えば。
目の前の端正な顔が、一瞬だけ不機嫌げに歪められ。
「用がなければ、君に会いに来てはいけないのかい?」
「今は、出仕中です」
「そういっても君。君が出仕中でないときなど、ついぞ見かけないよ? 特に、鬼の一件以来は」
その言葉に、険のようなものを感じたが、あえて無視をする。
今は、一刻も早く、この人をこの場から去らせたい。
その思いで、努めて事務的な声で。
「滞っていた作業がありますので、お戯れならば余所で」
「少し、君と話したいことがあってね。今夜、時間が取れるかい?」
その私の声を遮るように、彼には珍しく、拒否を許さないようなそんな声。
そのことに、驚きと、そして戸惑いを覚え、言葉を捜しあぐねた。
あらかじめ、そんな私を予想していたのか、彼はいつもの柔らかな笑みを残して立ち上がった。
「私は河原院で月見でもしているから、仕事が終わったら」
そういい、来た時と同じように、出て行こうとする。
その背を追って、腰を浮かせ。
「・・・っ友雅殿! あの、仕事が押していますので、遅くなるかもしれません」
「それは覚悟の上だよ」
「夜は冷えます。月が傾くまでにはお帰りください」
「・・・私とて、そこまで待つほどお人好しではないよ」
私の声に驚いたように、少し眼を瞠ったあと、またふわりと笑って。
言も途中にまた背を向け、ひらひらと手を振りながら、彼は出て行った。
そのことに、こっそりと息を吐きながら。
咄嗟とはいえ、以前のように名を呼んでしまったことに。
まだ、自分の中で、けじめがついていないのだと。
そう思い知らされて、鉛でも飲まされたような、そんな重い気持ちになった。
そうして私は、その刻限が過ぎるのを待つように、雑事に手をつけ。
こうして今も、この場に座している。
神子殿が元の世界に帰られて、もう三月ほど。
風は冷たくなり、眼鏡を押し上げる手も、すっかり冷えてしまうようなこんな季節に。
いつ来るとも知れないものを、夜に寒空の下、待つなどと、そんなことを。
冷えた体を温めてくれる、そんな人が数多ある人が、そんな愚かな事をするはずがないと思いながらも。
言いようもない、不安が、期待が私の足を動かす。
出がけに、女房が冷えるだろうと持たせてくれた袿もはおらず、脇に抱えて。
いるはずがない、いなければいいとそう思いながらも、相反して、いて欲しいと思う心が。
気を急かせて、自然足は走り出し。
内裏勤めを始めてから、走るということから遠ざかっていた身体が悲鳴を上げても。
慣れぬ足が、土を蹴るその痛みさえどうでもよく、ただ走った。
河原院に着くころには、慣れぬ体が呼吸を乱し、空気がのどを通る嫌な音が耳についた。
それでも足は止まらず、いるはずがない、いないでくれと、身勝手な懇願に近い思いで敷地内を彷徨った。
そして、彼の人の姿を池のほとりに見つけて。
来なければ良かったという後悔と。
こんな夜半になってまで、待ってくれていたという歓喜とも安堵ともつかない心。
自分の中で理解しがたい感情が渦巻いて、木に凭れかかって目を瞑っている彼を見下ろすことしかできない。
「友、雅・・・どの?」
かすれた、自分の声とは思えない声が、彼の名をこぼした。
それは疲労によるものだったのか、緊張のためだったのか。
震えるような、か細い声だった。
眠っているのか、彼は反応を見せない。
西に傾き始めた月が、冷たく彼を照らしていて、その光景が彼を作り物めいたそれに見せ。
不安のようなものが押し寄せてきて、私は膝をついて彼に手を伸ばした。
「こんなところで眠っては、風邪を、引きますよ・・・。・・・橘少将殿?」
「どうして、名を呼んではくれないの?」
伺うように、覗き込んでいた私の瞳を、翡翠にも似た輝きが捕らえた。
はっとして身を引こうとすると、ひやりとした手がそれを阻んだ。
幽鬼のようだと感じたそれは、はたして私の体温が高かったせいなのか。
現実離れしたその冷たさに反して、私をつかんだその手は抗うことを許さない強さで。
強く引かれ、体勢を崩して。
前かがみに倒れこみそうになる身体を、何とかこらえようとした私の抵抗は、後頭部に添えられた手に阻まれて。
彼の胸元へ押し付けられるように、倒れこんでいた。
ふわり、と。彼の香が鼻腔を掠める。
同じ香のはずなのに、私のものとは違った香りのそれに包まれて。
一瞬、眩暈にも似た感覚が、自分の中を巡る。
「神子殿が元の世界に帰ってから、君は私の名を呼ばなくなったね。どうしてだい、鷹通」
身を起こそうとする私を、押さえつけるようにその腕に抱いて。
寂しげな声が私に問う。
「な、にを・・・」
「・・・君と私は所詮、八葉という繋がりしか持たなかったということかい? 薄情なものだね」
後頭部を掴んでいた腕が、今はない、宝珠があった首筋を撫でる。
その冷たい指の感覚に悪寒にも似たものが身体を走る。
自分の指で触るのとは違ったそれ。
雅という言葉を体現したような彼の手指は、それに反してやはり武人ということか、指の腹や掌は太刀を握ることに慣れた硬さを帯びている。
震えそうになる身体を知られたくなくて、身を起こそうとしても、彼の腕の力にそれさえも果たせず、小さく身じろぐことしかできない。
「橘少将殿、戯れは・・・」
「では今宵、君の望みどおり、何もかも断ち切ってしまおうか」
私の言葉も半ばにそういうと、彼は私が聞き返そうと開いた口をその口唇で塞いだ。
唐突なことに、一瞬思考が停止して、目の前にある秀麗な顔を凝視することしかできなかった。
悲しげな瞳の輝きだけが、近すぎて霞む視界の中、際立つ。
その瞳に、意識を持っていかれかけるが、口唇を甘く食まれて口付けられていることにようやく思い至る。
抵抗を試みようとするが、強く掴まれた腕と顎に添えられた手に、阻まれ。
外気で乾き冷えた口唇が押し付けられ、反対に湿り気を帯びたあたたかい舌がなぞるように這う。
断ち切るといいながら、どうしてこんなことを仕掛けてくるのか。
彼が何を考えているのか、まったく解らない。
ちぐはぐな感覚が、余計にその存在感を伝えてきて、思考がまともに働くなくなる。
だが、なけなしの理性を総動員して、彼の口唇に歯を立て、彼が怯んだその隙に腕の中から抜け出した。
ただ、口唇を合わされただけだというのに、必要以上に息が上がっている。
混乱で、どうしていいかわからない。
咄嗟のこととはいえ、彼の口唇に歯を立ててしまったことに、今さらながらに罪悪感のようなものを感じる。
しかし、謝罪しようとは思わなかった。
「やれやれ、君は思った以上にじゃじゃ馬のようだね、鷹通」
「・・・っ何を考えているか知りませんが。それ相応の対応をしたまでです」
血のにじむ口唇を親指の腹で拭い、その指を見せ付けるように舐めながらおどけたようにいう彼に。
冷静さを取り戻そうと、努めて事務的な声で言葉を紡いでみたけれど。
彼のそのしぐさに、淫靡さのようなものを感じて、静めるはずだった鼓動は余計に跳ねてしまった。
「先行き短いこの身が、一夜の夢を求めているのだよ。付き合ってくれてもいいだろう?」
「理解しかねます。そういう相手が欲しいなら、・・・あなたならお相手には困らないでしょう」
自分で発した言葉であるのに、そのことに心が痛む。
言葉のとおり、彼は宮中でその浮名を知らない人などいないほど、その手の話題が尽きない人だ。
華を備えているといっても過言ではないこの人に。
誰もが心引かれ、その人の腕が自分に舞い込んだなら、と密やかに囁きあわれる人。
そんな人が、どうして何も持たない私などにそんな言葉をかけるのか。
戯れにしても、性質が悪すぎる。
そう、この人はいつもこちらの気など知りもせず、私の心をかき乱して、知らぬ顔で去っていく。
そして次会った時には、何事もなかったように振舞って、それが何度となく繰り返されて。
私の中には澱のように、何かわからない泥濘のような感情が募っていく。
その感情が、嫉妬であると悟ったときの私の心の葛藤など、この人には解らないだろうけれど。
そう、今感じたのも嫉妬だ。
そんな醜いところしかない私に、どうしてそんな言葉などかけるのか。
私の心の中を知らないとしても、酷過ぎるのではないか。
感情の整理がつかず、足元が崩れそうな、そんな感覚に襲われる。
それなのに、目の前の佳人は追い討ちをかけるような言葉をくれる。
「ねぇ、鷹通。そんな泣きそうな顔をしないでおくれ? 陽が昇れば君の望む、左近衛府少将と治部少丞の間柄に戻るから。だから今だけ、この闇が降っている間だけ。私の、橘友雅だけの鷹通になってはくれいまいか」
いつもの、相手に委ねるようなその言は変わらないというのに。
どうしてそんな、捨てられた子供のような瞳で、私にそんなことを訴えてくるのか。
そんな瞳で答えを請われたら、ありもしない期待を持ってしまいそうになる。
彼も少なからず私のことに心砕いているのではないかという、浅ましい感情。
そんなことありはしない、あるはずがないと思いながらも、彼が見せる時折の優しさや、気まぐれの言葉が。
少なからず、親しみを覚えてもらっているのは自負している。
だからこそ。
この関係を壊さないためにも。
この、心苦しくも心地よい距離を崩さないためにも。
私は私の中で、けじめを設けなくてはならないと、そう、思って。
あの日、神子殿が元の世界に帰るあの時見た、光景を機に、距離をとったというのに。
そうしなければ、均衡が崩れてしまうと解っていたから。
私は子供ではないから、少しは自分がどういう人間か悟っている。
決して手の届かないものが存在するということも。
そして一度手が届けば、それを逃すまいと醜く足掻くことも。
思いを寄せる相手には、自分の醜い姿を見せたくないという利己主義的なところがあることも。
だから、彼と一定の距離を量るためにも、時間が欲しくて、極力会わないようにしていたのに。
こんなことで、均衡を崩されるなんて。
「神子殿と・・・、私が八葉で神子殿と繋がりがあったからといって、代用になさるなど」
「・・・君は何を言っているんだい」
「あなたが・・・、神子殿を思っていたことは、知っています。最後の日、神子殿とともに彼の地に行くことを請い、断られたことも。・・・だからといって」
ぐらり、と視界が急に空を映した。
足首を掴まれた感触、腰と背中に伝わる鈍い痛み、頬を撫でた乾きかけの枯れ草、それぞれの感覚が自分が地に引き倒されたのだということをまざまざと伝える。
そして、ひやり、と首を覆った大きな掌。
その掌に、呼吸を奪うように力が入れられ、息が止まる。
目の前には綺麗な彼が、宵闇の中、絵画のように、ぼうと浮きぼられたように。
けれど酸欠のせいか、彼の表情は半分靄がかかったような闇で、どんな顔をしているのか見て取れない。
のどが、無意識に息を吸おうと、言葉にならない無意味な音を紡ぐ。
命の危機にさらされ、本能的な恐怖が身を襲う。
「君のその、人の機微に疎いところが可愛らしいとも思っていたけれど。今は殺したいほど、憎く思えるよ」
「・・・か、は」
不意に、のどが開放され、急激に空気が身体に取り込まれて、のどが悲鳴を上げる。
耳障りな呼吸と咳が、身を襲い、目の前が明滅するような、眩暈。
呼吸も整わないうちに、再び彼の口唇によって呼吸が奪われる。
「・・・ん、んん・・・」
息苦しくて、呻くことしかできない。
顔を逸らして逃れようとしても、顎を掴まれ引き戻される。
そして空気を欲して開く口に、舌が進入して、かき混ぜられ。
吸うことを欲するのどは嚥下を拒んで、あふれた唾液はだらしなく口端から零れた。
口端から耳下に向かって、生温かい感触が不快感を伴うはずなのに。
犯されるように蹂躙されている口の中の、その感覚が勝ってそんな不快感を消し飛ばす。
口を塞がれ、逃げ道を失った音が、身体の中で反響するように。
舌が触れ合う、唾液の混ざり合う水音が、頭の中に響くよう。
その音に、煽られるように、背筋に落雷でも落とされたような感覚が走りぬける。
それが快感であると知っている身体は、捌け口を求めるようにその感覚を追おうとするけれど。
快楽に押し流されそうな意識を、どうにか繋ぎ止め、渾身の力で彼を突き飛ばす。
「・・・っう、く」
言いたいことはいろいろあったはずなのに、口を付いて出たのは、嗚咽だった。
彼の言っていることが解らない悲しさや。
自分のことが自分で制御できない悔しさや。
いろいろなものが綯い交ぜになって、涙があふれる。
これでは、思い通りにならないからと、駄々をこねて喚く子供と変わらない。
立派な人になりたいと、完璧であらねば、義母上に申し訳が立たないと。
そう思って、ずっとやってきて、完全ではないにしろ、随分と目標に近づけていたと思っていたのに。
「私に口付けられたことが、泣くほど嫌だったかい」
「っ違います・・・! あなたが解らないのが、自分のことが解らないのが。無知な自分が・・・」
「・・・ねぇ、鷹通。一つずつ、話そうか」
「・・・え?」
先刻まで、力ずくで私を押さえつけていた手が、ゆっくりと近づいてくる。
そのことに、先ほどの恐怖や混乱がせり戻ってきて、咄嗟にかたく目を瞑る。
しかしその手は、羽でも触れるように頬を撫で、零れたままだった唾液を拭った。
「あの・・・?」
「誤解があるようだけれど。確かに、私は神子殿のことは好ましく思っていたよ」
恐る恐る瞳を開き、伺うように彼の顔を見上げると。
困ったような悲しげな表情が、まっすぐと私を見据えていて。
「神子殿が戻るとき、同行を願ったのも事実だ」
聞きたくないと思う事実を、彼の口唇が次々に紡いでいく。
まっすぐな瞳は、それが真実であることをはっきりと語っている。
耳を塞いでしまいたいと、そう思うが、彼の瞳がそれを許さない強さで私を見つめていて。
私はただ、淡々と紡がれる言葉を彼の瞳と対峙したまま聴くしかなかった。
「けれど神子殿はね、それを許しはしなかった。どうしてだと思う?」
「・・・解りません」
「・・・。『現実から逃げるために、私を利用するのは駄目です』、だそうだよ」
「は?」
彼の口から語られた、神子殿の言葉が何を意味するのか解らず、気の抜けたような声が漏れた。
彼はそれに苦笑をもらし、私から視線を逸らした。
「『今いる世界が苦しいからって、私の世界に来たとしても。きっと後悔ばかりして、来なければ良かったって思うはずです。逃げてばかりいてもどうにもならないって、わかってるはずでしょう?』」
今は遠くに行ってしまった、貴き人を思い出すように、空を仰ぎ見て。
彼の声で紡がれるその言葉は、何故か彼女の声で聞こえた。
『鷹通さんの、心配をかけないようにっていう気遣いは解ります。でも、全部自分の中で決着をつけようとしないでください。内に内に入れてばかりじゃ、前に進めないでしょ』
彼女の言葉がよみがえる。
その一つ一つはまとまりなどなく、雑然とした言葉の群れであるのに。
思い返せば、その中に秘められた彼女の優しさが、私の中の枠のようなものをゆっくりと溶かして。
もしかしたら、一生気づけなかったかもしれないことを気づかせてくれた。
変わることを恐れて、型にはまろうとばかりしていた私に、新しい一歩を踏み出す勇気をくれた、異世界からやってきた少女。
彼女自身は、自分の言葉の中にある、力を知りはしなかった。
けれど、だからこそ、その力は優しく私の中に降り積もった。
どうして今まで、それを忘れていたのだろう。
「神子殿はね、気づいていたのだよ。私の心がこの京に縛られていることを。だから、その状態で向こう側へいっても辛いだけだと」
「縛られて?」
「そう、君に」
空を仰ぎ見ていた彼の視線が私に降る。
やわらかな、けれど悲しげな瞳。
「先刻は、酷いことをしてすまなかったね。どうやら私は焦っていたようだ」
投げ出される形で放置されていた袿を拾い上げ、私の背にかけ、彼は元座っていた木に凭れかかり。
ずるずると、脱力するようにその根元に腰を下ろした。
そして、手で目元を覆い、空を仰いで大きく息をつく。
私はどうしていいかわからず、ただ彼のそのさまを見守ることしかできなかった。
「私は焦っていた、・・・のだろうね。ようやく鬼の一件が片付いて、ゆっくりと君と話ができると思っていた矢先に、君に避けられてしまって」
「・・・」
「たまに会っても、君は私を名では呼んでくれなくなっていたし」
「すみません」
「・・・謝って欲しいわけではないのだよ」
彼には似合わない苦笑を繰り返し、ぽつりぽつりと語られていく言葉。
それを受け止めるように、聞いていく。
「何か君に嫌われるようなことをしたのかと。君に聞こうにも、君はいつも仕事だと会えなかっただろう。それに、どうやら君は私との繋がりを絶ちたがっているように見受けられたから。そう思ったら、どうしようもなくなって。どうせ嫌われるなら、自分のしたいようにして嫌われたほうがいいと思って、あんなことをしてしまった。本当に、すまない」
言葉の流暢な彼らしくなく、たどたどしい言葉。
それが余計に、彼の中の心情を伝えて、申し訳ない気持ちになる。
「申し訳ありません。・・・その、私の中で、けじめをつけたいと、そう思って、いて・・・」
「何の、けじめだい?」
首をかしげて、彼が問う。
黙秘したい気持ちに駆られたが、彼もその心情を伝えてきたのだ。
私だけ、黙っているというのも、不公平な気がして。
みっともないのは、重々承知で。
「私の中で、あなたは、あなたの存在はとても大きいもので。鬼の一件で、行動を共にするようになってからは、その存在の大きさを改めて知って」
どう説明していいか、言葉に困る。
それでも何とか伝えようと、自分の中に存在しうる言葉の限りを尽くして。
あなたが大切なのだと。
何を賭しても失えない、失ってしまったらどうにかなってしまいそうな。
そんな狂気さえ孕んだ、私の醜い心を。
「けじめをつけなければ、際限なく、あなたの中に踏み込んでしまいそうで。あなたはそういったことがお嫌いでしょう。それに私は庶子で、あまりに分不相応だから」
「鷹通・・・」
「少し距離をと・・・。・・・ぁっ」
言葉も半ばに、抱きすくめられた。
「あの、離して・・・」
「こんなに嬉しいのに、離せないよ。君は離したら、逃げてしまうだろう?」
「・・・?」
「思い人にそんな思いを告げられて、触れないでおくことなんてできないよ」
「え?」
「笑ってくれてかまわないよ。私は一回りも歳の離れた君に、ずっと懸想していたのだよ? 君は気づきもしなかったけれど」
やわらかく笑みを含んだ瞳で見つめられ、そんな言葉をかけられて。
彼の腕から逃れようと、彼の胸についていた手は力を失った。
懸想? 彼が、私に対して?
願って止まなかった、けれど決して手に入ることはないと思っていたその言葉は。
他の誰でもない、彼本人の口唇から発せられて。
その言葉が真実だと、いつものからかうためのそれではないということを、痛いほど彼の真摯な瞳が伝えていて、私は胸が詰まり言葉を失った。
そして、涙があふれた。
それは先ほどのように悔恨から来るものではなく、歓喜からくるそれで。
後から後からあふれてくるそれを、私はとどめようとは思わず。
ただ、涙を流した。
「た、鷹通?」
慌てたような彼の声が耳をたたく。
それすらも心地よく。
「私も、あなたが。・・・あなたが好きです」
あんなにも口にすることが憚られた言葉が、するりと唇を突いた。
彼の腕の中で、まるで女君のように呟く自分を、女々しいと思いながらも。
それでも今の自分にはそれ以外どうしたらよいか解らず。
ただ、彼の腕の中で、彼のぬくもりに包まれて。
彼が袖で涙をぬぐってくれる仕草が愛しくて、彼の背にそろそろと指を這わせた。
互いに無言で、互いのぬくもりを確かめるように、ただ抱き合った。
どれほど、抱き合ったのだろうか。
しばらくして、彼から呟きがもれた。
「これを、愛している、と言うのだろう。不思議と、あたたかい気持ちだね」
「・・・はい」
「こんな時代に、たとえ珍しくはないとしても。私たちの思いは公に出来るものではない。それでも・・・、それでも、君は私の一の君になってくれるかい?」
いつも自信に満ちた彼に、似つかわしくないほど弱気な声。
それが、彼の気持ちを何よりも伝えてくれる。
私は、微笑を浮かべた。
彼の言葉は私の願いでもあったから。
「あなたが私の心を埋めてしまった時から、私の答えは決まっています」
「鷹通・・・」
吐息のような彼の私を呼ぶ声に、体の中に熱を宿しながら、その熱を吐き出すように。
「あなたが好きです。たとえ、どんなことが起ころうとも、同じ時間を過ごしたいのです」
彼の微笑が、私の心を埋め尽くす。
内裏の華、と呼ばれる彼の、心からの笑みは何者にも勝るまさに華で。
その艶やかさに目が眩みそうになる。
「ねぇ、鷹通。私の名を呼んで? 君から私の名を聞きたい」
「・・・あなたがもう嫌だと言うくらい、呼んで差し上げますよ」
「君から聞こえる私の名は、甘露のようだから。きっと嫌になることなんてないよ」
「どうでしょうね? 友雅殿」
「・・・もっと呼んで、鷹通」
「友雅殿」
「・・・うん・・・」
睦言のように甘い声で、互いの名を何度も呼び合った。
たとえあなたのその心が、一時の危機により、傾いたものだったとしても。
それでも、私の心は、すべてはあなたのために。
あなたが私のあなたを呼ぶ声を好むのなら、何度でも呼びましょう。
あなたは、私の心の中の太陽だから。
私は、あなたに照らされていたいのです。
一時でも長く、あなたのそばにいることが出来るのならば、どんな犠牲も厭いはしない。
あなたに心惹かれ、目を逸らせなくなった時から気づいていた。
そこに手をかければ、もう後戻りはできないと・・・。
END
***** あとがき。*****************************************
あ、あれー・・・? 当初の予定では青カンだったはずが結局何もヤらずに終わってしまいました。そのシーンを挟む隙間を見失ってしまったと言いますか。ほとんど進展なしじゃん。(汗)
書き始めてからだいぶ時間がたってしまって、当初の予定とはだいぶ違った内容になってしまったけど、くっついたからまだ予定通りといえなくもないかなぁ・・・。(汗)
しかし、最後になっても自分を卑下する癖が抜けない私の書く鷹通さん。私の中で鷹通さんは庶子であることに強烈にコンプレックスを抱いている人なので、自分に自信を持つことが出来ないのです。友雅さんが、今後どれだけ頑張るかがネックなカップリングかもしれません。
しかし、ようやく京編組が出来上がりました。現代版はさて、どうなることやら。そのうちバカップル炸裂な友鷹を現代版で書きたいです。京編だとどうしても鷹通さんは身分を気にするので。身分のない現代で鳥肌もんの蜂蜜を吐く勢いな白虎を書きたいですねv<どんな白虎だ
Title by 『緒方恵』
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